白濱 亮
初段(北九州道場)2012年11月18日取得

入門から14年。

この度は、初段のお許しを頂きまして本当にありがとうございました。心より感謝いたしている次第でございます。

極真会館大石道場に入門させていただき、14年が経過しました。学生時代に武道を習っておけばよかった、という後悔の念が、武道するならば空手、空手をするならば極真カラテ、という気持ちを芽生えさせ、その結果、39歳という年齢にも関わらず意を決し、大石道場に入門させていただきました。

思えば、40年前、中学1年生の時「少年マガジン」に掲載されていた『空手バカ一代』を読み、同級生達と大山総裁の物凄さを語りあったものでした。また、当時開館したばかりの、地元の北九州市立体育館で、極真カラテの九州大会が開催されることを知り、怖いながらも極真カラテの強さを見てみたいという好奇心に駆られ、見に行ったこともありました。試合で、黒人選手が対戦相手を次々にダウンさせていった光景を目の当たりにしたり、試し割でのスネによるバット折り等々、とにかくそれらの凄さに衝撃を受けたものでした。その大会には、大山総裁も来られていて、ご挨拶をされているお姿を遠くから拝見しておりました。この時から、既に極真カラテとは縁があった様に思えます。

それから25年後、富士川道場に入門、江澤先生とそこで出会い、情熱的なご指導を受け、毎週水曜日にある2時間の稽古を、心待ちにするようになってきました。この道場の雰囲気こそが私の求めていたもの、その様にも感じました。稽古すれば、嫌な事全て忘れることができました。稽古中は痛い、苦しいの連続でしたが、稽古が終わった後の何とも言えない充実感と壮快感が、更にカラテに対する情熱を湧かせてくれました。

入門してから3年後、実家のある北九州市に戻ることになりましたが、大石道場で得た素晴らしい精神、体力等を捨て切れず、地元の極真カラテ道場に通い始めました。しかし、そこでは自分の求めているものとは違ったものだったので、いろいろ悩んでしまいました。丁度その頃、大石最高師範から「北九州道場を開かないか」というお言葉を頂きました勿論、本当に光栄な事ではございましたが、まだまだ私は未熟者。とてもそんな事は出来ないと思いつつ、しかし何とか、北九州の地にも大石道場の素晴らしさを伝えたい、広めたい、という気持ちが次第に高まり、その上、何人かの人々も是非大石道場で学びたいという希望もあり、遂に意を決して「極真会館大石道場北九州道場」を開かせていただくことになりました。10年程前になりますが、当時私は緑帯(4級)でしたが、富士川道場で学んだ事を、なるべく忠実に伝えようと努めました。また、夏季合宿や上級者合宿などにも参加させていただき、大石道場の空気を少しでも多く、北九州道場に持ち帰る様に心掛けました。

それから、茶帯(2級)のお許しをいただいた翌年、初めて北九州道場での審査会が行われ、大石最高師範にお越しいただき、道場生達が北九州でも審査を受けられるようになりました。その後、ほぼ毎年、年1回審査会を開催していただき、道場生達にとっても更に大きな目標が出来る事になりました。

そして2005年、夏季合宿の時、十人組手を受けさせていただきました。受審する約9カ月前から、日ごろの補強に加え、ランニングで体力増強をしました。その結果、十人組手はなんとか完遂することは出来ましたが、次の課題は『型』です。

大石最高師範は、常日頃私に「十人組手よりも型の方が厄介だ」と仰られてましたが、まさにそれを実感いたしました。大石最高師範自ら製作されたDVDを見ながら稽古しましたが、自分では出来ているつもりで行っているけれども、他から見るとそうではなく、型の難しさを痛感いたしました。分からないところは、熊本道場の稽古に参加させていただき、前畑先輩の御指導を仰ぎながら、ほんの少しずつではありますが、近づいていけるようになった気がいたしました。そして、十数回の受審をさせていただい後、平成24年11月18日の静岡県中部審査会にて、初段のお許しを頂きました。

これからは、また初心に戻り、初段というスタートラインに立って、極真カラテの稽古に邁進していくつもりであります。大石最高師範の『黒帯の成長なくしては、道場の成長はない』というお言葉を肝に銘じながら、世界総極真の一道場として北九州道場の普及・発展の為になお、一層努めさせていただく次第です。

そして最後に、今までお世話になった最高師範、師範の方々、先生方、先輩方、そして私を支えてくれた北九州道場の道場生達に感謝いたしております。ありがとうございました。そして、これからも宜しくお願い致します。

押忍