Oyama Masutatsu Sosai
大山倍達総裁紹介
総裁
大山倍達
幼少の頃より拳法を学び、13歳のとき山梨少年航空学校に入学。1938年3月、松濤館空手の創始者・船越義珍に初めて空手を学ぶ。
拓殖大学、早稲田大学に学び、1947年全日本空手道選手権大会で優勝。
身延山、清澄山に籠もっての修業、修練を積み、牛を拳の一撃で倒す牛殺し、ビール瓶切りなど の秘技を体得、遂には猛牛をも倒した。”ゴッドハンド”と呼ばれる。
1952年に渡米して全米各地をまわりプロレスラーなどと真剣勝負を行って連戦連勝、同時に 空手を紹介する。その後も世界各国をまわって各種格闘技と戦い「カラテ」の名声を世界に広げる。
“空手こそ最強”の信念のもと、直接打撃制空手を提唱して、1954年5月、大山道場設立、 1964年国際空手道連盟極真会館に改名。同時に館長に就任。
全日本空手道選手権大会、全世界空手道選手権大会を開催して極真ブームを巻き起こし、今日の 格闘技ブームのさきがけとなる。(K-1、キックボクシングなど日本の格闘技のほとんどに影響を与え、その指導者には極真経験者が多数存在する。)
その間、世界130ヵ国1200万人、国内に50を越す支部を創立して50万人の会員を擁す る最大の武道組織を築き上げ“極真最強”の名をほしいままにした。
1994年4月26日、数多の人に惜しまれながら逝去。しかし、生涯を懸けて作り上げた極真の精神は、今なお世界中で多くの道場生に受け継がれている。
略歴紹介
年号 | |
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1923年 | 大山倍達誕生 |
1943年 | 日本航空隊に入隊 |
1946年 | 早稲田大学体育学科入学 身延山に入山、武道精進に励む |
1947年 | 京都丸山公会堂での全日本空手道選手権大会で優勝 |
1948年 | 空手に生涯をかける決意をし、清澄山入山、18ヵ月の修行を行なう |
1950年 | 千葉・館山で牛と対決。47頭の牛を倒し、うち4頭は即死 |
1951年 | 米軍の要請に応え、進駐軍の兵士に空手を指導 |
1952年 | シカゴの空手協会に招かれ渡米、11ヵ月に渡り全米32ヵ所で演武と空手指導 |
1954年 | 東京・目白に『大山道場』の看板を出す |
1956年 | 大山道場、池袋の立教大学裏のバレエスタジオを借りて稽古を始める |
1960年 | アメリカ、ヨーロッパなど16ヵ国に72の支部発足 |
1963年 | 池袋に極真会館総本部建設着手 |
1964年 | 極真会館総本部竣工、国際空手道連盟を正式に発足 |
1969年 | 第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会開催 |
1975年 | 第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会開催 |
1988年 | 日本国内のすべての都道府県に極真会館の組織が確立 |
1994年 | 肺癌のため死去、享年70歳 |